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2022.07.26インタビュー

(前編)日本パラリンピック委員会(JPC)委員長の河合純一さんにインタビューしました

 1992年バルセロナ大会から2012年ロンドン大会まで水泳でパラリンピックに6大会連続で出場し金メダル5個を含む21個のメダルを獲得、現在は日本パラリンピック委員会(JPC)委員長を務める河合純一さんに、東京2020大会はパラスポーツや障がい者への理解にどのような影響をもたらしたか、札幌2030冬季大会の招致によって期待されること、2030年へ向けた理想の共生社会などについて語っていただきました。


写真:アフロスポーツ


障がい者を取り巻く環境が大きく変わった8


――東京2020大会から1年が経とうとしています。2013年に大会開催が正式に決まってから、実際に東京2020大会が行われた2021年にかけてのおよそ8年で、パラスポーツや障がい者への理解は日本社会においてどのように進んだと実感されていますか?


まずはパラリンピックの選手やJPCを含めて、これらを取り巻く環境が大きく変わった8年だったと思います。東京2020大会が決まった当初の2013年はまだ厚生労働省で障がい者のスポーツ、あるいはパラリンピックが管轄されていたのですが、それが文部科学省に移り、スポーツ庁の発足と同時に一元化されていくという形ができたのも、この8年の間に起きた大きな変化の一つだと思っています。そのことに伴って、それ以前はなかなか難しかったナショナルトレーニングセンターの利用や、ナショナルトレーニングセンターイーストが新しくできたことも含めて、どんどんと進んでいったことは10年以上前から考えると、本当に驚きが大きいですね。


選手たちの変化だけでなく、いわゆる一般の生活をしている障がいのある方々の皆さんにとっても街に出やすい環境が、時間をかけて徐々に整備されていった8年だったのかなとも思っています。例えば新幹線の車いす席の数が増えたり、都内の駅ではエレベーターが設置される割合やホームドアの設置が増えていくなど、障がいのある方々にとっても優しい街が、どんどん広がっていったのかなと思います。これはもちろん障がいのある方々にとってありがたいことではありますが、ベビーカーを押している親御さんたちにとってもそうでしょうし、ケガをした方々にとってもそうではないかと思います。また、今はコロナ禍で少ないですが、重い荷物を持つ外国人の方々にとってもとてもありがたい話であったと思います。


ついつい、バリアフリーという言葉のイメージが「障がい者のために何かをする」という意識になりがちなところがあると思うのですが、障がいのある方々にとっても過ごしやすい、生活しやすい環境が整備されたというのは、全ての人にとってより良い環境に近づくことなんだという当事者性のようなものが広がっていった8年だったのではないかなと思います。


――東京2020大会の開催が決まった2013年には「共生社会」「多様性」という言葉はあまり聞きませんでしたが、今では当たり前のように社会に浸透している言葉になりました。


そうですね。もちろん、国連がSDGsのゴールの中にそうした項目を入れていることも大きく影響していると思いますが、とりわけこのように社会が大きく変わるタイミングに東京でオリンピック·パラリンピックを行う、そしてパラリンピックというものが今までなかなか注目を浴びなかった中でメディアの皆さんのご協力もいただいて、あるいは選手の活躍もあったことによって、多くの皆さんに知っていただくきっかけになったのは大きかったのではないかなと思います。


――河合委員長はパラリンピック日本代表選手団の団長として東京2020大会に参加されましたが、最も印象に残っている出来事を教えてください。


たくさんの選手たちの活躍もありますが、必死で準備してくれた組織委員会、そしてボランティアの皆さんの対応は本当にありがたかったと改めて思います。また、無観客開催という残念な状況にはなりましたが、そうした中でも応援してくださった多くの国民の皆さんのありがたさもすごく感じました。一方で、自分では抑え込んでいた部分もあるのだと思いますが、それなりに大変な思いを選手たち同様に私自身もしながら1年の延期を超えて戦っていたんだなぁと、閉会式が終わったときに感じましたね。


写真:アフロスポーツ


2030年はスポーツを通じた社会変革の大きなきっかけに


――パラスポーツや障がい者への理解、共生社会の動きを止めないためにも、札幌2030冬季大会は大きな役割を担うと思うのですが、河合委員長は札幌2030冬季大会に関してどのような思いを持っていますか?


図らずも東京大会は2021年の開催になりましたが、その先の10年後の社会をどうしていくのか、日本がどうありたいか、あるいは世界の中における日本の立ち位置をどのように再構築するのかということを、多くの皆さんがターゲットとしやすい、目標として置きやすいタイミングになるのだろうなと思います。それ以前にももちろんアジア大会、アジアパラ競技大会が2026年に愛知県名古屋市で決まっていたり、大阪万博が2025年に決まっていたりするものの、スポーツを通じた社会変革という部分において、2030年というのはすごく大きなきっかけになるだろうと思いますし、なってほしいと思っています。


ただ、改めて東京2020大会を振り返ったときに、終わってから出来上がってきたものというよりは、終わる前から取り組んできた結果としてこのような成果につながったと思っていますので、今からプロモーションを頑張って、多くの皆さんにご理解をいただく中で2030年にはこういう街にしたい、あるいはこのような社会をつくりたいということを共感いただけるようなメッセージを、我々も発信し続ける責任があるのだろうなと思います。


――2030年という新たな区切りに向けて、パラリンピックやパラアスリートが果たす役割はどのような部分にあるとお考えでしょうか?


もちろん、アスリート本人は自分たちのパフォーマンスを通じて皆さんにメッセージを届ける立場だと思います。一方で、我々のように引退したりパラスポーツに関わっている者としては、その選手たちの活躍の場を可能な限り引き立たせていくということをしながら、さらに、そうしたことを通じてより一人でも多くの皆さんとコミュニケーションをとるための準備、下支えの部分を丁寧にやっていかなければならないのだろうと思います。我々としては、具体的には子供たちに対する活動を重点的にやっていきたいと思っておりますので、力を注いで、これからも取り組んでいきたいなと思っています。


――子供たちに競技、プレーを見せたいというのは、河合委員長が東京2020大会の前から強く希望していました。ただ、先ほどのお話の中にもありましたように、残念ながら東京2020大会は無観客開催になってしまったことで、本当はもう少し子供たちにメッセージを伝えられたのではないか、あるいは課題として残ったと感じていることはありますか?


新型コロナのあの状況下では観客を動員しての開催は難しかったと思っています。ただ、テレビやインターネットの動画は切り取られた場面なのですよね。もちろん一番見てほしいところを切り取っているのだとは思いますが、普通では見えないアングルや場面を子供たちの興味関心のままに見ることができるのが会場であり、ライブの中で感じる空気や温度感のようなものを味わってもらいたいなと改めて思います。


例えば、レースの直前にどのような表情でウォーミングアップをしたり、どのタイミングでジャージを脱いでパフォーマンスする姿になるのか。また、その脱いだジャージをどう置いているのか、そのままポンと置く選手もいれば、きれいに畳む選手もいると思います(笑)。でも、そういう場面はテレビでは見ることができないじゃないですか。そこに気がついて、あの優勝した選手は競技前も丁寧にやっていることがもしかしたらきめ細やかな姿勢·メンタルを作り上げ、競技本番にも生かされたのではないかとか。そうした気づきはやはり会場にいるからこそ気がつくことであって、それに気づかせてあげるきっかけを東京2020大会で提供できなかったことは悔やんでも悔やみきれない部分ではあります。ですから、2030年に実際に競技や選手を見ていただければ、そうした場面を少しでも目にしたり、選手たちの素の部分を見ることによって、より鮮明に記憶に残っていくのだろうなと思います。


やはりそうした点が大きいことだなと思っていまして、東京2020大会は無観客だったものの、ボランティアなどで選手に関わった人や大会そのものに関わった人たちの熱量とか、オリンピック·パラリンピックの魅力を再認識した人たちはすごくたくさんいらしたと思います。それは本当にありがたいことで、よく東京2020大会のレガシーは何だったのかという論調もありますが、パラリンピックの日本代表選手団解団式の際に私からお話したのは、選手団に入った皆さんそのものがレガシーなのだと。皆さんが経験したことを語り続けていく限り、このレガシーは残るのだと。やはり心に残していくレガシーとは何なのか、それはすぐには見えないかもしれませんが、ここにこそ価値を見出していく時代に日本はもう突入していると思いますし、そういうことを発信し続けていかなくてはと思っています。


写真:アフロスポーツ


若い世代にこそものすごい熱量で伝えたい


――今のお話も含めて、2030年に向けて河合委員長が一番やっていきたいことは何でしょうか?


2030年にどうなっているかもそうですが、招致段階の今、札幌2030冬季大会が開催する8年後に子供たちがこうしていたいとか、こうなっている自分でありたいというものを描くきっかけを提供するということはすごいことだと思います。例えば12歳、小学6年生の子は20歳になっているわけですよね。結婚している子もいるかもしれないですし、出産している子もいるかもしれない。2030年にどういう自分であって、そして、どのように社会と関わるか。その社会と関わる一つの接点、アプローチとしてこのオリンピック·パラリンピックというものを思い描いていただいたのであれば、こんなにうれしいことはないと思っています。だからこそ、皆さんとともに今の小·中·高校生にこそものすごい熱量を込めて、注力してきっかけを提供したいと思います。


例えばですが、今の小·中·高校生の中の若いインフルエンサー、YouTubeやTikTokをやっている子たちを巻き込んで、その子たちに「札幌2030大会ってどうなんだろう?」ということを我々委員やアスリートたちが語るようなことをどんどんやっていく。そして、若い子たちが「面白そうだな」「ここがちょっと課題かも」ということを一緒になって議論していくようなこともした方がいいのではないかと思いますね。もちろん、大人の皆さんともコミュニケーションをとらなければいけないです。でも、子供たちの「札幌2030大会を開催できるようにしてよ」という声、あるいは夢や希望を大人たちは無碍にはできないと思っていますので、そういう前向きなエネルギーに変えていきたいと思っています。


――やはり子供たちの声は大事ですよね。


僕でさえも2013年に東京2020大会の開催が決まり、「45歳になる2020年には自分は何をしているのだろうか?」と思いました。現役選手としてはやらないとその当時から思っていましたから、何らかの形で携わりたいと思っていたところ、その翌年組織委員会が立ち上がったときに早々とアスリート委員会のメンバーとして声をかけていただきました。委員の皆さんは「さすがに1回くらい選手村には入れてもらえますよね?」と言っていたり、最終的にスポーツディレクターを務めた小谷実可子さんも2013年当時は「チケット係でいいからやりたい」と言っていましたからね(笑)。それくらい、どのような形でもいいから大会に関わって、オリンピック·パラリンピックのために何かをしたいと思っている人が、我々はスポーツ界ですから多いと思います。ですから、そういう気持ちを大切にできる大会であってほしいなと思います。


とはいえ、やはりいろいろな状況の中で、得意か不得意かは別にしてスポーツがあまり好きではない人たちがいらっしゃるのも事実です。ですから、このような国家的プロジェクトであるからこそ、僕はその人たちにも少しでも理解していただきながら進めていかなければならないのだなと常に意識するようにしています。ついつい、自分の身の回りはスポーツ好きが多いですし、スポーツの話で盛り上がれますからそれはそれで私も大好きなのですが、でもやはり、子供のころに部活で厳しい指導を受けて嫌いになったり、体育が面白くなかったりなど、いろいろな理由でスポーツを日常の中に取り入れることを心地よい生活だと思っていない方々が一定数いらっしゃるのも事実だと思います。けれども私は、健康でより良く生きていくということ、健康でありたいという気持ちは偽らざる気持ちとして誰もが持っているのではないかなとも思っていますので、そこにスポーツがどう貢献できるかという視点で我々アスリートやJOC、JPCが一緒になってやっていくようなキャンペーンがとても重要なのではないかなと思いますね。


今、IOC(国際オリンピック委員会)も「メンタルヘルス」「ウェルビーイング」をキーワードにしていますが、まさにそこを我々だからこそ出していける部分でもあると思いますので、そういうところにもチャレンジしていかなければいけないとも思います。


――今の時代、スポーツだけではなくて様々な娯楽が世の中にはあり、また東京2020大会の開催や延期に際してスポーツへのイメージが低下したこの12年でもあったと思います。だからこそ、河合委員長がおっしゃったように改めて「スポーツっていいものだよ」ということを若い子たちに広めていくことは、札幌2030冬季大会招致に向けてとても重要なことだと思います。


多分、スポーツが嫌なのではなくて、オリンピックやパラリンピックが大規模で、例えば商業主義的な匂いがするのではという嫌悪感などがあると思いますし、そのあたりは皆さんとしっかり分析したうえで考えていくべきだと思います。ですが、先ほども言ったように「ウェルビーイング」を言い換えると「幸せだなと思う気持ち」になるかと思いますが、自分が幸せだとか心地良いなという状態であり続けられるようにしたいという気持ちは老若男女問わずあると思います。それに対してスポーツというものがどれだけ貢献できるのか。一方で、スポーツにおいてハラスメントとか暴力というものが時々出ることによってネガティブなものと交錯してしまうのは残念なことですが、自分の体をコントロールして生きていくわけですから、やはり少しでも病気などしないように予防しながら、そこに心の状態も安定させながら、そして社会的な人間関係をうまく構築することによって自分らしい幸せの形と言いますか、そうしたものを見つけていく人生ってとてもいいと思いますよね。


河合純一(かわい じゅんいち)

日本パラリンピック委員会委員長。水泳で1992年バルセロナ大会から2012年ロンドンまで6大会連続でパラリンピックに出場。金メダル5個を含む21個のメダルを獲得した。

写真:アフロスポーツ