写真:アフロスポーツ
スキーノルディック複合で1998年長野冬季オリンピックに出場した荻原次晴さんにインタビュー。自国開催だった1998年長野オリンピックの盛り上がりや思い出、長野大会を経て街はどのように変わったか、オリンピックの経験から学んだ次世代の子供たちへ伝えたいこと、そして北海道・札幌2030冬季大会の招致に期待していることなどについてお伺いしました。
■白馬村のジャンプ台に入りきれないくらいのお客さん
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――本日はよろしくお願いいたします。まずは自国開催の1998年長野大会についてお話をお聞かせください。長野大会に出場した荻原さんにとって一番の思い出はどういう出来事だったでしょうか?
スキージャンプ台のスタート地点から見た競技場、観客席に集まってくださったたくさんの人たちの風景、景色が印象に残っていますね。やはりお客さんの数がすごかったですね。
――荻原さんは長野県にゆかりのある選手でもありました。当時の長野県の盛り上がりはどのようなものだったのでしょうか?
当時、冬のオリンピック・パラリンピックが長野県でどれくらい盛り上がるんだろうな?と考えた時に、正直に言いますと、まあ少しでも盛り上がってくれたらいいな……くらいにしか思っていなかったんですよ。でも、いざ大会が始まってみると、スピードスケートの清水宏保さんの金メダルから一気に火が点いて、モーグルの里谷多英さんの金メダル、またほかの種目の選手たちもたくさん活躍して、さらに白馬村のジャンプ台では船木和喜さん、原田雅彦さんの大ジャンプがあって、どんどん盛り上がっていく中で我々のノルディック複合チームが試合を迎えました。僕もたくさんの応援をいただきましたが、兄の健司にもすごく期待が高まって、白馬村のジャンプ台に入りきれないくらいのお客さんが集まってくださいました。チケットを手にできなかった方はジャンプ台の向こう側に広がる畑の方にまで集まって見てくださっていたんです。その光景を見て、実はいろいろと複雑な思いもありました。もちろん、応援に来てくださったことは嬉しかったのですが、皆さんの期待に応えたいという思いから、すごく緊張して不安にもなりましたね。オリンピックってもっと「イエーイ」みたいな気持ちで楽しめるかなと思っていたんですけど、実際は全然そんなことはなくて、当時は怖かったですね。それくらい普通とは違う、今までに感じたことがないような恐怖と言いますか、不思議な感覚でしたね。
――そうした感覚がほかの国際大会とは違うオリンピック独特の雰囲気でしたか?
そうですね。僕は選手時代、海外で試合をする方が気楽だったんですよ。やはり国内で試合をすると、日本語がよく聞こえる、日の丸が見える、また友人や家族たちが見に来ているので変に意識してしまって、なかなか国内大会では良いパフォーマンスができなかったことがありました。でも、長野大会ではなぜか上手くいって、思った以上のパフォーマンスができましたね。
――その「なぜか」という部分はやはり、今まで見たことがないようなお客さんの数、声援が荻原さんのパワーになったのかもしれないですね。
はい、そうですよね。ですから、たくさんの日の丸を見て緊張もしましたが、結果的には皆さんの応援に支えていただいて強い気持ちになれたと言いますか、チャレンジしようという気持ちにもなれましたね。
――長野大会があったことで長野県はどのように変化したと感じていましたか?
まずは新幹線が延びて、東京との往復が楽になりましたね。また、街も駅周辺もきれいになりましたし、だいぶ都市化が進んだ感じがありました。長野大会の最中も街中がすごくにぎやかになっていましたね。今は時間が経ちましたので、これは長野だけではないかもしれませんが、ちょっと街が静かになってしまったかなとも思います。
■北海道・札幌2030大会がウインタースポーツの楽しさを知るきっかけに
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――札幌市も前回の1972年大会から50年経ち、再びオリンピック、そしてパラリンピックを招致することをきっかけに新たな街の発展を目指し取り組んでいるところです。この北海道・札幌2030大会の招致活動についてはどのような思いを持っていますか?
もちろん応援させていただきたいなと思っています。僕自身も札幌でオリンピック・パラリンピックが開催されたらいいなと思って夢見ています。
――昨年は東京2020大会も開催されましたが、自国開催の長野オリンピックに出場された荻原さん自身が思う自国でのオリンピック・パラリンピック開催の良さ、意義とは何でしょか?
今、オリンピックに関してはいろいろなご意見がありますが、僕自身はシンプルに、理屈抜きに、オリンピック・パラリンピックって良い大会だと思うんですよ。しかも、世界中から選ばれた精鋭たちのスポーツイベントを間近で見ることができる。さらにそれが日本で開催されるのですからね。東京2020大会は僕も楽しくテレビで見ていました。いろいろとご意見はありながらも、やはり楽しみにしている方も結構多くいらっしゃるのではないかなと思います。
――荻原さんがオリンピックを通して学んだ事柄で、次世代の若い選手たち、あるいはスポーツをする・しないに関わらず子供たちに伝えたいことは何でしょうか?
僕は決して運動神経が優れていたわけではありません。かけっこもそんなに速くない、球技はダメ、泳ぐのもそんなに上手ではない。だけど、小さいころからスキーが大好きで、冬が来るのをすごく楽しみにしていた少年でした。それであれよ、あれよという感じでスキーノルディック複合の競技の世界に入っていきましたが、そんな僕がなぜオリンピックに出場できたかと言いますと、やはりずっと続けてきたからだと思うんですよね。だから、今の子供たちに僕が何かを伝えられるとしたら、まずは好きなことを見つけてほしいです。そして、それをとことん続けてほしいということですね。
――もし北海道・札幌2030大会が開催されたら、大会そのものに期待すること、または大会をきっかけに札幌にはこのような街になってほしいということを教えてください。
僕が子供のころ、スキーと言えば北海道。北海道の子供たちがすごく強かったです。スキージャンプをやっている仲間もたくさんいましたけど、今、札幌はあれだけの大都会になり、様々なプロスポーツが参入したことで、北海道・札幌の雪国の子供たちがあまりウインタースポーツをやらなくなってしまっている面もあると思います。スキージャンプ台に行くよりも、真冬の室内温水プールに泳ぎに行く子供たちがたくさんいる。やはり北国の子供たちには北国ならではのスポーツを楽しんでほしいなと僕は思っているので、オリンピック・パラリンピックを開催することによって、ウインタースポーツの楽しさとかかっこよさを子供たちが感じてくれて、ウインタースポーツをするきっかけになると嬉しいなと思います。
――ノルディック複合も北海道・札幌2030大会の開催をきっかけにますます発展すると嬉しいですね。今、ノルディック複合がオリンピックの正式種目から外れるかもという報道も目にします。
冬のオリンピック種目で唯一、女子のカテゴリーがないのがノルディック複合です。ですから、女子も正式種目に採用すべきだという声が挙がっている一方で、だったらバランスをとるために男子もやめようかという話が持ち上がりました。それを聞いたときは衝撃とか、ショックよりも「あきれ」みたいな気持ちでした。なるほど、そういうバランスのとり方もあるのだなと言いますか、そういうふうに考える人たちもいるのだなと、すごく勉強になりました。でも、今、スキージャンプの日本女子があれだけ活躍しているように、ノルディック複合の日本女子もすごくレベルが上がっているので、僕はオリンピック種目に早くするべきだと思っています。もし、2030年までにオリンピック種目に採用されれば、今の日本女子選手たちは強いので、明るいニュースを届けてくれるのではないかと思っています。
――ぜひ、荻原さんの手でも北海道・札幌2030大会の招致、ノルディック複合のさらなる発展に向けてたくさん盛り上げていただければと思います。
はい、僕も今は伝える立場ですので、2030年もキャスターなどで大会に関わっていけたらと思います。
■荻原次晴(おぎわら・つぎはる)
スキーノルディック複合で1998年長野冬季オリンピックに出場。