写真:フォート・キシモト
スピードスケートで1998年長野冬季大会、2002年ソルトレークシティー大会と2大会連続でオリンピックに出場した三宮恵利子さんにインタビュー。自国開催だった1998年長野オリンピックの思い出、オリンピック・パラリンピックの自国開催の意義や効果、そして北海道・札幌2030冬季大会の招致に期待していることなどについてお聞きしました。
写真:フォート・キシモト
■大会が長野の街、日本全体を盛り上げていた
――本日はよろしくお願いいたします。まずは1998年の長野冬季オリンピックのことからお聞かせください。三宮さんにとって初めてのオリピック出場だった長野大会は、自身のアスリートとしての生き方やその後の人生にとってどのような影響をもたらしましたか?
地元日本でしたので言葉や時差のストレスが全くなく、とても楽しいオリンピックでした。やはり憧れていていた夢の舞台に出てみて、もう1回この場に立ちたいと思った大会でした。
――それまでも多くの国際大会に出場していたと思いますが、競技以外のことも含めてオリンピックだからこそ、オリンピックならではという思い出やエピソードがあれば教えてください。
やはりオリンピックの聖火を見たことと、今まで感じたことがない雰囲気、お客さんの多さ、あとは長野の街全体、日本全体が長野オリンピックをすごく盛り上げてくれていたので、そこに関わっている自分がすごく楽しかったです。特別な環境の中に自分がいるのだなということを感じましたね。
――当時の盛り上がりは本当にすごかったですよね。
そうですよね、すごかったと思います。また、オリンピック・パラリンピックの効果で長野県に新幹線が通るということもありました。それまでは長野県はすごく遠いというイメージがあったのですが、新幹線が通ったことで東京からすごく近くなりましたよね。やはり自分の環境もそうなのですが、そのように日本全体が1972年の札幌オリンピック以来の日本の冬季大会開催ということですごく盛り上がっていたので、その自国大会に出たいという気持ちはすごく強く持っていました。
――長野大会はオリンピックだけではなく、日本で初めて冬季パラリンピックが開催された大会でもありました。その効果から日本でもバリアフリー化や、障がいのある方たちへの意識がより進んだ大会でもありました。
はい、選手村もそのような設計になっていましたね。
――そうだったんですね。そのように長野大会は日本の社会にとっても大きな変換点であったとも思います。長野大会、あるいは東京2020大会といった過去の例も踏まえて、自国でオリンピック・パラリンピックを開催する意義、意味をどのように捉えていますか?
オリンピック・パラリンピックは日本を元気にする、地元を元気にするものだと思っています。長野で大会を開催したことによって長野市も長野県も元気になったと思いますし、大会を見た子供たちがスケートを始めたということもありました。「元気を届けることができる」。それがオリンピック・パラリンピックの自国開催の良さなのではないかなと思います。
写真:フォート・キシモト
■道民、日本全体が熱く、元気になる大会になれば
――三宮さんは北海道釧路市のご出身です。小さいころから北海道で生活し、スケートをしていく中で、前回の札幌1972大会のレガシーを感じたことはありますか?
真駒内屋外競技場がオリンピックスタジアムだったので、そこでスケートの大会があった時は「あぁ、ここで札幌オリンピックをやったんだ」と感じていましたね。また、スケートを始めてからは両親から札幌オリンピックの話を聞くことが多かったですし、スケート以外でもジャンプ台を見て札幌オリンピックのことを考えたり、そうした部分ではやはり北海道で暮らしていく中でオリンピックというものを身近に感じていましたね。
――そうした風土、土壌が三宮さんをオリンピアンに育てという部分もありますか?
環境が環境でしたし、北海道にいると周りにオリンピック選手がたくさんいたんですよね(笑)。そうなると、やはりああいう選手になりたいなと思いました。札幌オリンピックの映像を見ることは少なかったのですけど、その後ですよね、カルガリーオリンピックなどの映像などを見て、オリンピックがより身近になるにつれて大会に出たいという思いが強くなっていきました。そうした時に長野大会の開催が決まったんですよね。本当はその前のリレハンメル大会を目指していたのですが出場できなかったので、どうしても長野大会に出たいという気持ちはものすごく強かったです。
――それでは招致を目指している北海道・札幌2030大会についてお伺いします。この招致に関しては率直にどのような思いを持っていますか?
やはり開催が決まればいいなと、正直に思っています。北海道で生まれ育って、冬のスポーツですとスピードスケートや氷の競技は北海道で盛んなところもありますので、そういった部分では多くの北海道の人たちにオリンピックをもう一度味わっていただきたいなと思います。
――先日、北海道・札幌2030大会の招致スローガンが『世界が驚く、冬にしよう。』に決まりました。
はい、いいですよね。スローガンの通りだと思います。
――地球温暖化が進んでいることで札幌、北海道の雪資源が世界的に見ても貴重だと言われている中、2030年に北海道・札幌でオリンピック・パラリンピックを開催する意義はどのようなところにあると考えていますか?
北海道は日本の中でも北に位置する“島”ですよね。やはり道民が元気になるような大会になればいいなと思っているのと、日本全部が熱くなるような大会を迎えることができればいいなと思っています。それをきっかけに北海道に行ったことがない方たちが北海道に行くような、オリンピック・パラリンピックを見に行きたいと思うような大会になればいいなと思います。
■オリンピック・パラリンピックを目指す子供たちが増えてほしい
――それでは最後に北海道・札幌2030大会に期待すること、また、オリンピック・パラリンピックが開催されることで2030年の北海道・札幌がこういう都市、街になっていたらいいなと思うことなどをお聞かせください。
私は釧路出身なのですが、釧路から札幌に行くだけですごく都会に出てきたような気分になるんです(笑)。なので、オリンピック・パラリンピックをきっかけに北海道の人口が全体的に増えてくれたらいいなと思っています。道内では人口が少ない地域もありますし、ちょっと過疎化しているところもあります。もちろん、それは北海道だけではないと思いますが、冬が長い地域なので冬のオリンピック・パラリンピックを開催することで、楽しみだったり元気といったものが大会を通して伝わればいいなと思います。それは、小平奈緒選手が長野県にもたらしたような影響ですよね。彼女は長野オリンピックを見て選手を目指したと思うのですが、小平選手が長野大会を見て感じたようなことが2030年の北海道・札幌で起きてほしいです。北海道に住んでいる人たち、子供たち、そして選手たちが北海道・札幌2030大会を見て、自分もこういう舞台に立ちたいというような、小平選手のような気持ちを持つ選手が一人でも多く育ってほしいなと個人的に思っています。
――ノルディック複合の渡部暁人選手、両角友佑選手も長野大会を観戦したことがきっかけで選手を目指しました。小平選手を含め、次世代の選手たちを長野大会が生んだとも言えると思います。
そうですよね。たぶん、冬の選手はそうして競技を始めた人たちが多いと思います。なので、札幌で競技を見て、自分も同じ舞台に立ちたいと思う子供たちが多く育ってくれて、世界に羽ばたくような場所になってくれたらいいなと思います。
――そうなると、三宮さんご自身にとっても次世代の選手や子供たちの育成という部分で楽しみが多くなっていきますね。
そうですね。だんだんと冬のスポーツの競技人口が減っていますので、なるべく増やしていきたいと思っているのですが、環境の問題もありますからね。やはり暖かくなってきていますし、地球温暖化の問題が心配ですよね。私もこのままだと冬のオリンピック・パラリンピックがなくなってしまうのではと心配しています。
――地球温暖化など環境に関する問題もこの北海道・札幌2030大会を通して多くの人たちが考えるきっかけになればいいですね。
はい、そのような大会になればと思っています。
■三宮恵利子(さんみや・えりこ)
スピードスケートで1998年長野冬季大会、2002年ソルトレークシティー大会と2大会連続でオリンピックに出場。