写真:フォート・キシモト



 スキージャンプで1992年アルベールビル冬季大会から2006年トリノ冬季大会まで5大会連続でオリンピックに出場し金1個、銀1個、銅1個のメダルを獲得し、2022年の北京冬季大会ではTEAM JAPAN総監督を、現在は北海道・札幌2030オリンピック・パラリンピック招致応援大使を務める原田雅彦さんと、フリースタイルスキーのモーグルで2006年トリノ冬季大会から2010年バンクーバー冬季大会まで3大会連続でオリンピックに出場した伊藤みきさんにインタビューしました。お二人には、自国開催だった1998年長野オリンピックの思い出、オリンピック・パラリンピックの自国開催の意義や効果、オリパラを通じた次世代・子供世代の育成、そして北海道・札幌2030冬季大会の招致に期待していることなどをテーマに対談していただきました。また、対談終了後には『もしも北海道・札幌でオリンピック・パラリンピックが開催されたら』をテーマにメッセージを書いて頂きました。



長野大会のレガシーが子供世代に伝わっている


――次世代・子供世代の育成や教育に関してお伺いします。先ほど伊藤さんからは「里谷さんや上村さんに憧れてオリンピックを目指した」というお話があり、ノルディック複合の渡部暁斗選手はまさに長野大会の原田さんのジャンプを実際に競技会場で見て選手を目指したというエピソードもあります。長野大会は次世代のトップアスリートを生む大きなきっかけとなりましたが、札幌2030冬季大会が開催されることで次世代の育成についてはどのような影響、効果があると期待しているでしょうか?


 写真:フォート・キシモト



原田 やはり、自国開催のオリンピック・パラリンピックという大きな目標ができることが大きいですよね。われわれは4年後、また次の4年後を目指してというように競技をやっていますが、自国開催は4年後よりももっと早い段階で決まりますから、次の4年後を飛び越してもうそこ!と目標が決まります。ですから、ものすごく実になると言いますか、強化につながっています。今、札幌2030冬季大会はまだ決まっていませんが、実はもう動き出しているんですよ。札幌でオリンピック・パラリンピックが開催されるかもしれないから、アスリートが札幌の会社に就職しましたとか、札幌の学校に入学しますというように、もう動き出しているわけです。そういうことが自国開催の良いところなのではないかなと思います。

そう、それで渡部さんが「長野オリンピックの原田さんのように飛びたい」と確かに言ってくれました。そして、私は長野以降もオリンピックに出ていますが、「長野以上にあんなふうに思ったことはない」と、渡部さんはいまだに言うんですよね(笑)。それほど自国開催のすごさがあったのだろうなと思います。


伊藤 原田さんのジャンプを生で見たというだけでうらやましいです(笑)。テレビでもブワー!ってものすごい熱量が来たのに、あの大観衆の中で見ていたんですよね。しかも自分の地元で!

 

写真:フォート・キシモト



――伊藤さんは今、ジュニア世代のコーチもしているということですが、次世代・子供世代の育成・教育については何か感じていることはありますか?


伊藤 札幌市スポーツ協会がやっている「札幌市ジュニアアスリート育成事業」というものでチーフコーチをさせていただいています。また、札幌市民の小学生の中から有望な子供たちを発掘することもしていて、モーグルに興味があってスキーがはける子、アクロバティックが怖くない子たちを昨年から30人くらい集めて、今は3人に絞っているのですが、なんとか札幌オリンピックに向けて選手を育成していけないかなと活動しています。その中で「札幌オリンピック」というワード。開催は決まっていませんが、子供たちはこの「札幌オリンピック」にマインドセットされているので、オリンピックというものはまだよく分からないけど何かすごいことをするんじゃないかというワクワク感を持っているんですよね。それはやはり長野大会を見ていた世代がその子供たちの親だから、そこがちゃんとレガシーとして伝わっているのかなと思います。

また、私は札幌に住み始めてからまだ短いのですけど、札幌市というのはオリパラ教育がしっかりされている街で、けっこう浸透しているんですよね。オリンピックミュージアムもありますし、ジャンプ台が札幌市の象徴にもなっています。札幌市はこんなに大きな街なのにジャンプ台が象徴というのは、ウインター競技をやっている私たちからしたら本当にすごく幸せなことだなと思いますし、ウインタースポーツが根付いているなという感覚があります。

先ほど、長野オリンピックの会場で練習しているとモチベーションがどんどん上がっていったという原田さんのお話がありましたが、私も選手時代に長野市に9年くらい住んでいたことがありました。それで、ちょっとケガをしてリハビリをするために長野市のプールに行くと、そこが長野大会ではアイスホッケーの会場だったりしたので、オリンピックシンボルとパラリンピックシンボルに囲まれながらプールで泳ぐんですよ。そうするとモチベーションがすごく上がるのが自分でも分かります。オリンピックシンボルが私たち選手の心に与える影響って、誰か論文を書いてくれないかなと思ってしまうくらい高くて(笑)。何かそういう、オリンピックが来た街に住めるというのもひとつの幸せなことなのかなと思いますし、ちょっと気分を上げるというだけでもものすごく効果があると思いますから、いろいろな人にそうした思い、経験を共有していきたいと思っています。



スポーツが明るい未来へのきっかけになれば


――今の小・中・高校生は、2030年にはこれからの札幌市や日本を背負う世代になります。スポーツが好きな子もいれば、スポーツに興味がない子もいると思いますし、特にこれからは様々な興味や考えを持つ子供たちが増えていくと思います。そうした今の子供たち、また2030年の未来の子供たちに向けて、今からの8年、7年間でオリンピック・パラリンピックの招致・開催を通じて伝えたいこと、学んでほしいことなどはありますでしょうか?


原田 やはり目標を持って、ゴールに向かって達成するように努力したり、何かこう希望がない世の中だというふうに考えるのではなくて、明るい未来に向かっていけるような世の中になるために、オリンピック・パラリンピック、あるいはスポーツがきっかけとなり、勇気づけになればいいなと思いますよね。

「長野大会のとき受験勉強ですごく悩んでいたけど、原田さんのあの涙でふっきれて頑張ることができました」というお話をしてくれる人も結構いるんですよ(笑)。そういった手助けに我々がなれればいいなと思いますね。

そして、札幌のオリンピック・パラリンピックはですね、何と言えばいいんでしょうね、雪と共存していくんですよ。それで北海道の人たちは……


伊藤 雪に対して割とネガティブですよね。


原田 ね、そうなんですよ。


伊藤 私、住み始めてビックリしたんですけど、私一人だけ「あ、雪だ!」って喜んでいたから、すごく浮いてしまったんです(笑)


原田 そうですよね(笑)。そうですけど、札幌市民の方はうまく雪と付き合っているんですよ。スポーツもそうなのですが、札幌の人はとにかくウインタースポーツと必ず付き合うように生きているので、そういった雪と上手に共存できるような未来につながるようになればいいですよね。雪って厄介者なんですけどね(笑)


伊藤 そんなことないですよ、私たちウインタースポーツに関わっている人たちはそもそも雪がないと能力を発揮できませんから(笑)。


――伊藤さんは子供たちに対してはいかがでしょうか? 先ほど札幌市ではオリパラ教育がしっかりされているというお話もありましたが。


伊藤 本当に今、多様性というものが叫ばれる時代で、いろいろな考え方がそれぞれあっていいという世の中だからこそ、オリンピック・パラリンピックって素晴らしいよねという人がもっとたくさん増えてもいいと思っていますし、オリンピック・パラリンピックと札幌と2030年というものを掛け合わせてどのようなものを作っていけるかを考える人が増えたらすごくいいなと思います。今よりも市民の皆さん、道民の皆さん、国民全体が、せっかくだから札幌オリパラをきっかけにこういうことをしていこうと、自分事にとらえて考えていけるようになればいいなと思います。

先日、パラスキーの狩野亮さんのご家族と私の家族で、渡部暁斗選手たちが練習しているのをジャンプ台まで見に行きました。そうしたら、夏休みだった小学生の子たちに話しかけられて「札幌オリパラについてどう思いますか?」と、その子たちの自由研究としてインタビューをしてくれたのですが、すでに札幌2030冬季大会が自分事になっている子供たちと会うことができました。その子は、自分もクロスカントリーをやっているからなんとか頑張りたいと言いながらこの自由研究を発表しますと言っていたので、そういう子がどんどん増えていけばいいなと思いましたし、すごくポジティブな気持ちになりました。


街全体で困っている人をサポート、ソフト面でのレガシーとして


――自分事としてオリンピック・パラリンピックに参加する、関わるということは何も選手だけではなくて、いろいろな形があると思います。東京2020大会ではその一つの例として、ボランティアさんの存在が大きくクローズアップされ、日本でもボランティア文化がますます醸成されたのではないかと思います。原田さん、伊藤さんは特にオリンピックには何度も出場されていますので、ボランティアの存在をどのように受け止めていたか、あるいは市民とオリンピック・パラリンピックとの関わりについての考えを教えてください。


原田 長野大会のときは、もう長野市民全員がオリンピアンみたいなものでしたよ。みんながオリンピックに参加していましたよね。泊っているホテルからトレーニングに行くところから、皆さんが「頑張ってよ!」と励ましてくれたのを覚えています。サッカーや野球もそうですけど、日本代表の試合があれば、その競技に全然関係がない私でも応援しますからね。


伊藤 そうですよね、そのときはもうそれこそ自分事ですよね。


原田 ええ、まるでその競技を自分がやっていたようにね(笑)。そういった感じですから、自国開催となれば、みんながオリンピック・パラリンピックに関わるような形になってほしいですよね。それで長野大会のときは、何かをしてあげたいとみんなが世話をしてくれるんです。選手みんなに頑張ってほしいなと思ってくれて、自分も選手の気持ちになって後押ししてくれる、そんな雰囲気を受けましたね。


――札幌2030冬季大会も原田さんがおっしゃったような雰囲気になって、みんなが楽しめるオリンピック・パラリンピックになるといいですよね。伊藤さんはボランティアに関する思い出などはいかがでしょうか?

 

写真:フォート・キシモト



伊藤 バンクーバーオリンピックのときに会場行きのバスが全然来なくて、そういうことはよくあるのですが、そのときにボランティアさんが教えてくれました。そのバスじゃないよ、こっちだよ、って。でも、そのボランティアさんはバスの担当ではなくて、別の担当をしていた方だったんです。原田さんがおっしゃっていたように、困っている人やいろいろな人を街全体で助けてサポートしていくということを経験しましたし、本当に助けてもらいました。東京2020大会でもきっとボランティアさんが言葉を越えてサポートされていたと思うので、それは本当にオリンピック・パラリンピックでのソフト面でのレガシーとして受け継がれていくものですし、私たち自身も次の世代につなげていかなければいけないものだと思いました。


原田 先日の北京冬季オリンピックのボランティアは全員、学生だったんです。何万人という学生がボランティアでした。彼らは本当によくやってくれましたよ、朝早くから夜遅くまで選手団の面倒を見てくれてね。日本語もすごく上手で、私たちが知らないような言葉も知っていて(笑)、そうしたことも思い出深いですね。


オリンピック・パラリンピック開催を通して札幌市民と一つに


――それでは最後に、札幌市民として札幌2030冬季大会に期待していること、オリンピック・パラリンピックを招致・開催することで札幌の街がこのように変化していったらいいなと考えていることなどを教えてください。


原田 やはり札幌はウインタースポーツの街ですから、みんなが競技や選手のことを知っているんですよ。選手のことを家族のように思っている人たちばっかりですから、オリンピック・パラリンピックが開催されれば、みんなが一つになれると思います。ですので、ぜひ札幌のオリンピック・パラリンピックで市民の皆さんと一つになりたいなと思います。


伊藤 私は縁あって札幌に住むことになり、北海道で娘を産みました。子育てをしている中でベビーカーを押すこともあるのですが、地下鉄のエレベーターまでが遠かったりという不便を感じることもありました。そうしたハード面に関して、パラリンピックが来ることで整備が急速に進むのではないかとも思いますので、社会的に弱い人たちが救われるオリンピックになればいいなと思います。また、単純に選手たちの活躍を見たいという思いもあります。頑張る姿を見ると勇気づけられるので、頑張っている人たちを応援したいですね。


原田 札幌市としては1972年のオリンピックから今年で50年ですので、新しく生まれ変わるという思いもありますよね。ハード面も整備されて、より未来に向かってという思いで。


伊藤 前回の札幌オリンピックのときに地下鉄が走るようになったんですよね。すごいことですよね。


原田 そうなんですよ。真駒内の会場から市街地まで地下鉄が延びました。


伊藤 選手村の名残、跡地もありますよね。


原田 はい、ありますね。団地になっています。


伊藤 あそこに行くと、すっと背筋が伸びる思いがすると言いますか(笑)、オリンピック・パラリンピック開催の影響って、本当にすごいなと思います。





原田雅彦(はらだ・まさひこ)

スキージャンプで1992年アルベールビル冬季大会、1994年リレハンメル冬季大会、1998年長野冬季大会、2002年ソルトレークシティー冬季大会、2006年トリノ冬季大会と5大会連続でオリンピックに出場。リレハンメル大会のラージヒル団体で銀メダル、長野大会のラージヒル団体で金メダル、ラージヒル個人で銅メダルを獲得。北京2022 TEAM JAPAN総監督。北海道・札幌2030オリンピック・パラリンピック招致応援大使。


伊藤みき(いとう・みき)

フリースタイルスキーのモーグルで2006年トリノ冬季大会、2010年バンクーバー冬季大会、2014年ソチ冬季大会と3大会連続でオリンピックに出場。